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聴き合うことの幸福を知る哲学カフェ

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2025.12.16

社会の分断や政治的分極化が世界的な課題となって久しい。個人から社会、そして政治の次元で、分断は広がりを見せ、深化し続けている。身近な人とも分かり合えない気がしてしまう。そんな分断を緩和する解の1つとして、哲学カフェがある。今、日本各地で行われている哲学カフェや哲学対話の営みが、私たちの日常にどのような変化をもたらすのか。わたしの構想No.81「地域に広がる哲学カフェ」での識者の声からは、自分と他者への理解が深まるだけでなく、聴き合うことで幸福感が生まれることが示唆された。

世界的な課題となる分断

 分断、分極化、対立など、国内外のニュースで最近よく耳にする言葉だ。アメリカでは政治的分極化が深化している一方で、日本では分極化が顕著ではないともいわれている。支持政党が異なる人との付き合い方が課題となるアメリカに対し、日本では分極化は喫緊の課題とまで認識されていない。しかし、分断という点では、日本でも所得、性別、地域などで格差が生じていることは確かだ。分断が深まり、分極化の流れに向かうとも限らない。

 2025年の世界経済フォーラムでは、海外の識者らが深まる分断の課題や要因、そして解決策などを議論している(議論をまとめたレポートはこちらを参照)。意見が異なる人と、いかに心地の良いコミュニケーションを取ることができるかという点は、万国共通の課題と言えるだろう。

深まる分極化

 アメリカに住んでいた2000年代は、学生を含む若者や大人が政治・政策について語る場面によく遭遇した。一般的に政治に関する話題は、非常に繊細な事柄として避けることがマナーとされている。しかし、私自身が投票権を持たない外国人であったためか、あるいは党派性が顕著な土地柄もあってか、出会う人たちは政治に関する意見を自由に語っていた。口論が発生しないとは限らなかったが、政治や政策は、会食の場でも自然に話題となるテーマだった。そうした雰囲気に大きな変化が表れたのは、この10年でのことある。今でも友人や知人らから政治について意見を聞く。しかし、それと同時にこの数年、彼らから聞くのは「支持政党が違う人たちと、会話そのものができなくなっている」ということだ。これまで支持政党が違えど、付き合うことが可能だった人間関係に耐えがたい亀裂が生じ、今では同じ政党支持者が多い地域へと引っ越しをする人も少なくないという。分断、そして分極化の深刻さがうかがえる一例だろう。

意見を聴き合う機会

 先に触れた通り、日本でも分断という言葉を耳にするが、アメリカとは様相がやや異なる。そもそもの前提として、日本では日常生活の中で政治や政策、社会課題の話をする機会が圧倒的に少ない。無論、いつでもどこでも政治などの話をするというのは疲弊するだろうし、異なる意見を持つ人たちと軋轢が生じないよう会話には気を遣う。そうしたセンシティブな話をしないことで、分断が明確化しないという利点もあるだろう。

 しかし、意見を交わす機会を失うことによる弊害はないのか。特にコロナ禍以降は、他者との対面での接触が減少したと言われ、日本では社会的孤独や孤立の問題が国内外で指摘されている(Pei and Zaki 2025)。内閣府によると、間接的に孤独や孤立を実感する人たちが調査対象の半数に迫るというデータもある(図1)。他者とどのようにつながることができるかは、分断や孤立を考える上で重大な問いだろう。日本でもアメリカでも、互いに衝突せず、異なる見解に耳を傾けながら、自分の意見も表明する方法を知ることが重要だ。

図1 孤独の状況(間接的な質問に基づく)

図1 孤独の状況(間接的な質問に基づく)
(出所) 内閣府孤独・孤立対策推進室「人々のつながりに関する基礎調査(令和6年)調査報告書」令和7年4月の「孤独の状況(間接質問)」に基づき作成。 間接質問は、「UCLA孤独感尺度」の日本語版の3項目短縮版の質問に基づき、「孤独」という言葉を使用せずに孤独感を把握。
質問内容は、「あなたは、自分には人との付き合いがないと感じることがあるか」、「あなたは、自分は取り残されていると感じることがありますか」、「あなたは、自分は他の人たちから孤立していると感じることがありますか」。短縮版に基づく孤独感スコアは、「10~12点(常にある)」、「7~9点(時々ある)」、「4~6点(ほとんどない)」、「3点(決してない)」で測定。

哲学カフェでできること

 わたしの構想No.81「地域に広がる哲学カフェ」では、こうした問いへの解の1つとして、哲学カフェを挙げている。東京大学教授の宇野重規氏によれば、哲学カフェは元々1992年にフランスのパリで、特定の日時にカフェに集まった人々が哲学者と共に多様なテーマについて語り合ったことに端を発する。日本でも早くから紹介され、その実践は大学や地域社会など、さまざまな場へと広がってきた。

 わたしの構想No.81の各識者が唱える哲学カフェや哲学対話の意義には、「安心」「信頼」「共存」「自由」「対等」という言葉で表現されている。そして、哲学対話の効果としては、次のようなものがある。「正解は1つではなく、回答に間違いもない(堀越耀介)」ことを知り、問題に対する異なる視座への「複雑さに身を置けるようになる(永井玲衣)」こと、そして「自分たちで考えていこうという意識が芽生え(鷲田清一)」ることが、哲学カフェでは起きる。さらに、「互いの考え方の『ずれ』を、対話を続けながら丁寧に解きほぐし(八木絵香)」、「他者と共に生きる意味(横井史恵)」を共に探ることができる可能性を秘める。

哲学カフェがもたらすもの

 哲学カフェでは、あるテーマについて、社会的属性を削ぎ落した「個」としての自分の考えや体験を話す。聴く側は話を遮ることなく、語り手の言葉にじっくりと耳を傾ける。話すという行為だけでなく、それに先立つ聴く姿勢が問われている。1人の人間として、肩書や年齢関係なく、ただただ対等に互いに向き合う。哲学カフェで丁寧に語り合い、聴き合うという経験を通して、異質な他者だった存在が、実は自分と変わらない人間だと改めて気づく。さらには、誰にも否定されることなく、自分の言葉を聴いてもらえる幸福感を得られるという。そうした学びと自己・他者の受容の機会が、私たちの日常の中でどれだけあるだろうか。

対話によって得られる幸福感

 学問としての哲学は、近寄りがたいと感じるかもしれない。見知らぬ人と対話することや他者とつながることに抵抗を感じる人もいるだろう。しかし、わたしの構想No.81の各識者たちの体験を聴くと、哲学カフェは誰しもに開かれ、気軽に参加できることが前提だという。聴けば聴くほど、哲学カフェや哲学対話こそ、今の社会課題解決のカギとなるように思えてくる。しかし、それ以上に大切なことは、分断などの課題解決という対処療法としての機能だけではなく、対話の営みが私たち自身に癒しや安らぎ、そして他者との安全なつながり方をもたらすことであろう。幸福感や充実感を生み出す対話の効果にも、目を向けることが必要だ。

参考文献

NIRA総合研究開発機構(2025)「地域に広がる哲学カフェ」わたしの構想No.81
Pei, Rui & Zaki, Jamil(2025) ”Chapter 5 Connecting with others: How social connections improve the happiness of young adults” in World Happiness Report 2025. University of Oxford: Wellbeing Research Centre.
Spence, Michael(2025)「分断が深まる世界で、建設的な意見の相違を学ぶ方法」世界経済フォーラム

執筆者

宇田川淑恵(うだがわ よしえ) 
NIRA総合研究開発機構研究コーディネーター・研究員

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